十一日目

ryosalem2003-12-13

体の調子はどんどん悪くなっている。今日は日本に帰る日。父も今日、日本に帰る。昼間で寝ていた。父が昼ごはんにパンとコーヒーなどを持ってきてくれた。食べるが味がしない。味覚障害は治っていない。まともに味がわかるのはコーラだけだった。
車で空港まで向かう。父と同じターミナルだったので、父の搭乗手続きを先に済ました。父はビジネスクラスだったので速かった。自分は10分ぐらい並んで待った。
両替を済まし、出国手続きをしに行く。途中で空港職員にとめられ体温を測らされた。体温は37.8度あった。職員は中国語でなんか言ってきた。多分、これはどういうことだ、って言っていたのだと思う。大丈夫、問題ないと言って逃げた。SARSと間違えられて、日本に帰れなかったら困ると内心では思っていた。出国カウンターでパスポートを提出しスタンプを押してもらう。しかし、なんか職員の顔がおかしい。もしかしたらさっきの職員がなんかサインを送ったのか。日本に帰さない気でいるのか。かなり不安になった。職員が中国語でなんか言ってきた。「父は関空なのに、どうして君は福岡なのか?家族だろう?」そんなことで職員は悩んでいたか。自分は英語と中国語を混ぜながら説明した。理解したらしく、職員は奥で待っている父に確認を求めた。父がOK、OKと言って、やっと笑顔になりスタンプを押してもらった。
父と別れ、飛行機に乗り込んだ。体は生きようとする気力だけで動いている。機内食がでてきた。一口だけ食べる。吐き気が止まらない。トイレの近くの席にしといてよかった。
福岡空港に到着し、はうような感じで飛行機から降りた。少し歩くと空港職員がいたので話しかける。日本なのになぜか英語で話しかけてしまった。
その瞬間その場に倒れた。もう限界だった。引きずられてソファーまで行き横になった。熱が38.5度ぐらいあった。職員に旅の日程やらいろいろ聞かれ、病院の先生に報告していた。先生と電話で話すことになり、病名はデング熱だろうということだった。
JALの女性職員が登場し、病院までタクシーで連れて行くとか言ってきたが、そんな気分じゃなかった。(今はかなり後悔してます。自分は熱があると、思っていることと逆の言葉や行動が出てしまう。あー、そんしたなー。)気分が少し回復し、バスで駅まで向かう。友達に駅で落ち合い、車で家に戻り、病院に行った。病院の対応が適当すぎて、病気がもっと悪化した。