お騒がせばーちゃんの最後

ばーちゃんが、「ヤバイ」と聞かされて、礼服を買い、心の準備をしていたのですが、
様子がおかしい。点滴が入らなくなって、3日も持つのものかいな?


5日目に、従姉妹に確認すると、点滴が入ったよと・・・
いつ入ったのか聞くと、あれからすぐで、もしかしたらと思い、連絡せずにいたとのこと・・・


まー、いいっちゃいいんだけど、みんな心配してるんだからと思い、
まー、ばーちゃんらしいやと思いました。


母方のばーちゃんは、お騒がせ好きというか、ほんと、なんにしても、「ばーちゃん」と、
言われるばーちゃんでした。


「りょう、りょう」と、いつも呼ばれ、「ばーちゃん」と答える。これだけで、大体通じたんです。
顔に表す、喜怒哀楽がものすごく表現出来ていて、顔見たら、大体考えてることが分かったし。


今年の夏にばーちゃんに会ったとき、「りょう」と呼んではくれたものの、
僕が「りょう」ということはわからず、親戚と間違えていた、ばーちゃん。


もう一度、名前を呼んでもらうために、今年は海外行くのはあきらめて、
ばーちゃんのところへ行こう。





上の文章を打ち終わり、日記をUPしようと思ったとき、ばーちゃんが、
死にました。


すぐに車を飛ばし、ばーちゃんのところに行ってみるものの、
やっぱりばーちゃんは死んでました。
ばーちゃんは、夏よりやせていて、ガリガリでした。
泣き崩れる母親の姿が印象的で、
じーちゃんの時も死に目に間に合わず、ばーちゃんの時も間に合わなかったことが、
ものすごく悔しいみたいで、泣きながら叫んでました。


葬式が終わり、最後、台車式火葬炉に入れられるばーちゃんの棺に、「ばーちゃん」と
何度叫んだことか・・・
炉に火を入れるとき、おじさんの「よかね」という言葉が、今も耳から離れません。


骨上げを行なったとき、ばーちゃんが足の骨を折った際、金属でとめていたんだけど、
その金属がしっかり出てきました。


まー、あっという間でした。


もう少し長生きしてほしかったなと思うし、もっとたくさん、ばーちゃんと話がしたかった。
福岡の大学に行ってたのだから、毎月でも遊びに行けたのにと思うと、後悔ばかりです。


死んでから気づくのでは遅いんだけど、死んでからでないと気づかないことも、
たくさんあるんだなーと思う、今日この頃です。


ばーちゃんが死んだおかげというと、怒られますが、久しぶりに会う親戚にも会え、
それはそれで、身内を大切にしようと思いました。
そーいえば、ばーちゃん、騒がしかとか、せからしかとか、言いながら、
苦笑いで喜んでたなー。ああこういいながら、にぎやかなの大好きだったし。


にしても、悲しさだけは、なかなか消えんものですね。


書きたいこともしっかり書けてるかわからんし。


ほんと、悲しかです。


悲しいけど、ばーちゃん、今まで、ありがとう。


ほんと、かなしいです。